暮らしと 趣味と 戸惑いと

サラリーマンの日常と非日常です

39歳で立ち止まって考えてみた

39歳になりました。

月並みな話ですが、子供の頃は39歳なんてムチャクチャおじさんに見えて、全てを経験した酸いも甘いも嚙み締めた人間だなんて昔はボンヤリ考えていましたが、実際になってみると、それはまぁ子供で。何なら私の6歳の息子とどこが違うんだ、違うようで大して変わらないだろうと。実際、子供の友達にも何故かイジられます。特に親しく接している訳でもないのに…。

小学4年生から進学塾に入って、中学受験をしては第一志望が定まらず、第二志望なんだか第三志望なんだかよく分からない中学校に入って、6年間男子校生活を送ることになりました。(それはまぁ女性との会話が苦手になりました笑)

大学受験をしては合格率はそこそこ高いと言われた第一志望に見事に落ちて、フラフラの状態で第二志望に何とか引っ掛かって、目的も無いままフワフワしながら大学4年間を過ごすことになりました。当時、第一志望は余裕で合格だと勝手に思って、徹夜で『サカつく』やって、合格発表を見に行ったら見事に落ちていたあの瞬間は未だに忘れられません!

早く就職を決めたい一心で何とかそれなりの大企業に就職し、仕事やら人間関係やら紆余曲折を経て、今一番自分の居場所らしい居場所を見つけることができました。

今はプライベートでも友達に囲まれて充実していますし、80点を狙って60点ばかりだったけれど、自分の幸せ曲線を描いたとしたら多分右肩上がりな、結果的に素晴らしい39年間だったなぁ、と思っています。そして、社会人になってからの自分は「頑張った!」って胸を張れるくらい、一心不乱に努力したとも思っています。凄く昭和な発想だとは思いますけれど。

それでも未だに何かモヤモヤする部分、自分の中でやり切れていない部分が残っているのだとしたら、それは納得するまでやらないといけないという気もしています。「実は真面目な俺」が「まだまだ変わってみたらいいじゃない」と言っているような気がするのです。兄弟にも友達にも同僚にも、自分には勝るものが無いとすぐに諦めて、それでも何とかそれなりに身を立ててきた立場としては「もうこれでいい、十分頑張った」と本当は言いたいところなのです。

22歳以降、心の底からガッツポーズしたことなんてあったかな…。サポーターやっていた頃は何度も何度もした記憶があるけれど、それすらこの7年は無いと思う…。

もう一度、もしかしたらこれが最後なのかもしれないけれど、何か自分のために頑張ってみたい、頑張れる先を見つけたいと思う39度目の誕生日でした。それが何になるかはまだ全然分からないけれど、「これまでにないチャレンジの1年」に絶対してやりたいなと思っています。繰り返しですが、それが何かはまだまだ具体的に見えていないのですが笑

とにかく言いたいことは、これから「俺なんて…」なんて絶対に思わないこと。
ちょっと酔っぱらいながらの、よく分からない誕生日の決意表明でした。